教え子・部下の教育なら『公文式』に学べ!『教えない伝え方』の考察

2016/08/15

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社会の中で、自分より後輩や部下、
それから生徒、を持った立場になると、
どんな分野であっても“教える”ことは
しなければならなくなります。

私も“教える”ということをする立場ではあるので、
“教育”だったり“指導”といった事を
するようになったのですが、
その時に最も気を付けなければと思ったのが、
『一方的な伝え方になっていないか』ということです。

自分の中では
『ああ、俺ってスゲェ伝えるの上手いなぁ』と思って、
生徒に情報を提供したとしても、
本当の意味で“教える”が完了するのは、
教えた相手が理解して、そのタスクを遂行出来るように
なるかにかかってくるでしょう。


で、しかもそういった一方的な伝え方というのは
生徒側も生徒側で“分かった気”になってしまうので、
『なんとなくやれそうな気』にはなるのですが、
そこから実践した先に引っかかることがあることに気づかない
という罠に引っかかってしまっています。

そんな教え方、あなたはしていませんか??

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『敢えて教えない』公文式から学べること

“くもん”で有名な公文式では、
敢えて『教えない』ということに力を入れているそうです。

それは何も根性論であったり、
『自力でやれ!!』といった精神論めいたものではなく、
動機付け”というものに重点を置いているからです。
公文式では『教えて貰う学習』と『自分で学ぶ学習』の区分けを
以下のように区別しています。

『教えて貰う学習』
教える側も学習する側も、ていねいな微に入り細に入る説明がよいと思う傾向がある(教えられてわかったように思っていても、いざ自分でやってみようとすると、できないということがある)

『自分で学ぶ学習』
自分の力でできないときに、学び方のヒントやアドバイスを与えてくれる存在がいると効率的である(強い動機づけや意志がないと続きにくい)


【教えないことの意味】

一般的に先生の立場から考えると、答えがわからないという子には、「これがこうだから、こうなって…」と教えてしまった方が、時間も手間もかからないものです。
しかし、一見遠回りに見えても、できるだけ子ども自身に気づかせ、答えを出させたいのです。

それは子どもたちに、教えを待つのではなく、とにかく自分でやってみようとする「挑戦力」をつけてほしいと願っているからです。

気付きと記憶と“動機付け”の意味

生徒や教え子は何故分からないか・出来ないかが
本当の意味で理解出来た時、
それが強い動機付けになります。

そのように考えると公文式のように
徹底的に自分の力でやって、壁にぶつかってしまった時に、
そこを乗り越えたならばそれは強い動機付けになるため、
記憶に定着し、それがそのまま学力に繋がりますよね。


『やらなきゃならん』という環境の重要性

もう1つ、『くもんに行く』ことで、
その環境に良い意味で拘束されるようになるため、
仕方ない…やるか。という姿勢になることも
学ぶ上では意外と重要だったりすると考えるようになっています。

・仕方ない、と自分に思わせる

テレビやゲームなどの「誘惑」が近くにある場合、人間は誘惑に基本的に勝てない。感情は理性より遥かに強いのだ。

だから、気を散らすものを近くに置かないのが最も良い。すると「仕方ない……やるか。」という気持ちになる。

例えばカフェ、図書館などに出かけるのは合理的だ。ゲームをスマホからアンインストールするのも良い。ダイエットしたいなら、家に食べ物を置かないのが良いのだ。


家で独学で勉強していくのであれば、
おのずとこれらの誘惑に負けないようにしなければならなくなりますが、
“くもん”という環境に身を置けるのであれば、
その実現性はグッと高まります。

そして、解けないと次に進めないという所で、
良い意味で『仕方ない』と思えるのではないでしょうか。

少し話が逸れますが、このような記事を目にし、
日常的に継続して何かをしている人は
『それをしなければならない』
という思考につながっていた人を
過去に何人かお会いしたことがあります

私も以前は“毎日投稿”を心掛けていたことがあったのですが
(今はこのブログはコンテンツの質重視のためしていませんが)
それを行っている間は“やらないと変な罪悪感を感じる”
というまでになっていました。

私の周りでも、毎日投稿を続けていらっしゃる方は
大勢いらっしゃいますが、
皆、『やらないと気持ち悪い』
ということを仰っています。

となると、“伝える側”の立場に立った時、
教える側の方に対し、
いかにしてこの“やらないと気持ち悪い”と
思って貰えるようになるか
、という点が重要になるでしょう。

じゃあ『教材』はどうか?教材の限界と指導で出来ること

今、インターネット上では
様々な教材が存在しています。

PDF形式でマニュアルを配布していたり、
音声、動画だったり…。
様々なノウハウ・教本をダウンロードして
簡単に手に入れる事が出来る時代です。

いわゆる“情報商材”というものも
少しずつ浸透してきましたが、
教材だけ売ってお終い、
という商法は上記の意味でも
限界があるように感じます。


もちろん、商品としては、
実績のあるもの、信頼出来るものであれば良いのですが、
顧客満足度にまでフォーカスすると、
どうしても綻びが出てきてしまうのではないでしょうか。

理由としてはもともと教材の形が、
先ほど伝えた公文式の引用に出てきた
『教えて貰う学習』に過ぎない点があり、
実践する前は『できる気がする』と思うけれども、
実際にやってみて限界を感じること
が少なからずあるからで、

そうなると、情報の受け手にとっては、
本当は優良な内容のものであっても
『中身がない』と思われてしまう可能性だってありますし、

壁にぶつかった時に
支えになるような存在が必要になるのですが、
それが無いと気付いた時、
その情報を本当の意味で理解出来ないまま、
お金だけ支払って終了だった。
と、後悔してしまうことなってしまうのです。

そうならないためにも、
こう言った教材であっても壁にぶつかった時に
例えばカスタマーセンターだったり、
お問い合わせ用のメールを用意してくれていたり等の
最低限支えて貰える環境(サポート)はやはりあるべきですし、
ユーザーの立場の場合、
それを有意義に使っていく必要はあるでしょう。

そして、教える立場になった時、
『マニュアル通り同じ内容を複数の人に伝える』という事が
どれだけ理に適っていなかったかを考えさせられました。


教材はあっても、それを同じように伝えていても
受け取り方は十人十色なので、
それではマニュアルと存在価値は変わらないのかもしれません。

それよりは生徒や部下が壁にぶつかった時に
一緒に力になれる存在になるべきではないでしょうか。


そのためにも、1人1人を見て、
どこで躓いたかを分析していき、
そっと軌道修正出来るようなアイデアを出し、
生徒・部下が主体的に動けるようにする


エネルギーのいることですし、
時間もかかり大変かもしれませんが、
『教える側』の理想の形というのは
そういった存在なのかなと思うようになっています。

『こうあるべきだ』『だからお前もそうしろ』
という算数などによくある“公式”などなく、
そしてそれを強いる必要はないのかもしれませんね。

あとがき

教える仕事をしていると、すぐに答えを知りたがる人、
あるいはそうでない人など様々だなぁと思っています。
そう言ったことを考えていたらふと“くもん”の事を思い出し記事にしてみました。
くもんの理念は社会に出ても使える考え方ではないでしょうか。

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Photo By: Andremcmxc

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