浪人は1年前の生活を
言ってしまえば“テイク2”として
やり直せるような経験が出来たことで
得るものが多かったと感じています。
過去を振り返ってみて
面白い経験だと思うものは
“必死のレベル”というもの。
本日はこの“必死のレベル”というものが
人生にとって死ぬほど重要だった、
という事をまとめていきます。
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あの頃も“必死”だったのに。なぜ高校と浪人で差がついたのか?

By: techmsg
勉強に取り組んでいたはずでしたが
当時の自分の『必死』は、
カフェやラウンジ等で
誰かと話しながらでも
教科書や単語帳を開いていれば
『必死』な訳で、
机に向かっていなかったとしても
何か教科書や参考書が開かれていたら
『あー今日も頑張ったなぁ』と
本気で思っていました…。
まぁ、、、当然行きたい大学には
合格できなかったわけですが…。。。
ところが浪人時代になると、
周囲の仲間に恵まれ、
周りの勉強に対する姿勢に
強烈な刺激を受け、
ここで今更、
『ああ、今まで何してたんだろう…』と、
思うようになり、
『必死のレベル』が、
明らかに変わった事が
自分の中でも
分かるようになったのです。
こういった経験をし、
『必死のレベル』が
自分の中で上がったことにより、
受験も合格する事が出来たのですが、
この『必死のレベル』を
底上げしていく事が、
パフォーマンスの向上に
つながっていくと思うのです。
そして、逆に何かを
『教える立場』に立つという事は
その、必死のレベルを
伝える事になります。
教える人が
『全力で頑張れ』と言っていても
教える人が連日遊び呆けていたら
学ぶ側が『必死のレベル』を
正確に感じ取る事は出来ません。
自分自身が
何か大きな結果を出したいときは
環境をそういった水準が
高いところに身を置くべきですが
周りの方をプラスに導くような
人間になりたいのであれば
その『必死のレベル』の高さを
周囲に示していく必要があります。
『親の背中を見て育つ』とも言いますが
こういった日々の物事の
取り組み方の姿勢も
周囲には確実に伝わっているはずです。
物事に対する『必死のレベル』の高さを
絶えず周りに振りまけるような
心意気を持ち続けていきたいものです。